2015年4月30日木曜日

10人にひとり

「お互い万人受けされるタイプではないんですよ。
あなたは目の前に10人の人がいたら、そのなかでひとりが自分を理解してくれたらそれでいいと思っている。
僕は10人がいたら、0.5の深さでいいからせめてふたりには受け入れられたいと思っている。
職業柄そうしないと成り立たないのもありますけど、
それは僕の本質でもあります。
突き抜けられるんですよ、あなたは。
突き抜ける可能性のある人には、突き抜けて欲しいと思っているんですよ」

店の前で別れて、元上司は反対方向に歩いて行った。
もう一軒ひとりでいくのかなと思ったけれど、きっと生まれたばかりの娘さんが待つ家に帰るのだろう。
どこに住んでいるのか聞くのを忘れたけれど、案外この辺なのかもしれない。右と左に交互に20度ぐらいずつ傾きながら歩いていく背中は、以前会った時よりも力が抜けていて、幸せそうに見えた。

以前は、飲み始めるのが終電後で解散するのは夜明け前だった。早くに始まった今日はまだ電車がある。
駅にむかって真っすぐな表参道を歩きながら、もらった言葉を頭のなかで転がしてみる。

「10人にひとり」。
以前は「それがいい」とも「それでいい」とも全く思えなかった。
”大きな”仕事をするためにも、賛同者は多いほうがいい。
顔の見える人たちからも、ぼんやりした社会に対してからも受け入れられたいと願っていて、そのために言葉を重ねたり、飲み込んだりした。長所は?と聞かれると順応性。そしてカリスマがある人が羨ましくてしかたがなかった。

ひとり、またひとりと顔が浮かんでくる。
今日の言葉は時差なしでしっくり来た。この数年は「10人のひとり」に出会えた時間の繰り返しだった。

目の前のひとりと深く潜っていこうとすると、しばらくしてまた次のひとりが現れた。
ひとつの場所に辿り着いて、次に訪ねるんだろうひとつの場所が見えてきた。
旅と同じで、変にたくさんの選択肢が見えるより「あ、導かれている」という感覚が強い瞬間が、心地がよかった。

いま私の舟はとても小さい。
その人たちのことが毎日頭の中を占めていて、
もっと深く潜るために時間を過ごして、一緒に喜んだり、心配したり、かける言葉を考えたりしているうちに、日々があっという間に過ぎていく。
でも、そんなエンジンの回し方で、漠然としていた5年前よりも前に進める感覚があるのは、それが私の本質だからなのだろう。

「以前のあなたは自分のことで精一杯だった。ルンバみたいに、あちこちぶつかりながら同じ部屋の中を回っていて、どこにも行けない感じがあった。真剣にぶつかってくるから、真剣に応えなきゃと思っていました。いまはあなたに周りの人を感じます。いい出会いがあったんですね」

そう言ってもらえたことが、素直に嬉しかった。

ふわふわと地下鉄の入り口についたところで、振り返る。背中はもう見えなかった。長い時間をかけて応えていく言葉の後半。次の定点観測は、いつになるんだろう。


家の駅に戻ってくると都心の気配は消えて、森が明日の予感を運んできた。

彼らになんて言おうかなと思う。
凸凹な自分を受け入れてくれた人たち。
私が自分の言葉や行動にやすりをかけようとすると、
途端に不機嫌な顔になったり、腑に落ちない顔をする、
有り難くて、愛おしい人たち。

無理矢理に大きくしなくていい。濃度を薄めなくていい。
くるくると小さく回りながら「10人にひとり」を大事にできる度に、少しずつ広くなる舟。
そのうち人がひょいと乗ったり降りたりを自由にできるスペースなんかができて、誰かを次の岸まで運んであげられるようになる。そんな舟になったらいい。