2015年11月5日木曜日

図書館讃歌

図書館。

この町の好きな所はたくさんあるが、ひとつ挙げるとしたら図書館の多さだ。
歩いて(あるいはバスに10分でも乗れば)どこにでも行けてしまうサイズの町で、こんなにも図書館が多い町を私は知らない。

図書館で執筆をしていると、背筋が伸びる。本棚から古いインクの匂いが香ってきて、ここに並ぶ一冊一冊ができるまでにかかった時間と情熱に恥じない仕事をしようと思う。

謙虚にもなる。どんなに素晴らしい本を書いたとしても、それが何冊売れたとしても、最後はこの蔵書たちの仲間に入れてもらえるか、後世の人たちにとって残すに値する知識や物語になのかが問われる。もしいつか、光栄にもその棚の仲間に入れてもらえるのだとしたら、それは文字が始まった何千年も前から人々が探し編んできた何万冊、何百万冊と知識や物語に僅かに新しい文脈を沿える行為を許されることなのだ。欲張らず、与えられたこの命とチャンスを生き、言葉を正直に綴ることしかできない。

図書館にいると五感が整っていく。
目で見えること、手で触れられること、インクの匂いを嗅ぐこと、静けさに耳を澄ますこと。自分の命よりも長い時間を感じ取り、第6感が目覚めて、次に書き付けたい言葉を探し出してくる。雑念が消えて、私自身は透明な筒になる。

味覚? それも大丈夫。オアハカの図書館には、ギャラリーカフェと併設されていることが多い。そうでなくても外に出て少し歩けば、屋台に、あるいは小さな食堂に、食べる物を見つけることができる。


熱く苦い珈琲を口に含めばその味が漂う妄想を戒め、自分はまだ死者の側にはおらず、泥臭く書いて生きていくしかないことを思い出させてくれるのだ。