2018年4月7日土曜日

声、意味ではなく

4.1 

命日は毎年やってくる。それに心のアンテナを向けるのか、
今年も問われて、そして立ち止まった。

昼過ぎに起きてきて、外に出るも、駅までさえ歩くのがしんどい。
花粉のせいなのか、今日が4月1日だからなのかはわからないけれど。

カフェにこもって、本を読んだ。

「声、意味ではなく」(和田忠彦)

ひとつの声が意味するのはこういうことだ。
ひとりの人間がいて、喉をふるわせ胸部をひらき、感情をこめて、ほかのどの声とも異なるその声を、大気の中に放つことだ。
(声、意味ではなく。あるいは、耳をすます王)

溢れそうになる。

私はあの子の声を聞くことはなかった。
わずか5ヶ月の体で保育器のなかに入っていた彼女は、泣かなかったと記憶している。
ただ、全身で、全力で、肺を膨らませ、息をしていた。

彼女の存在によって、私は喉をふるわせ、胸部をひらいた。言葉では捕まえきれなかった、そして今も捕まえきることのできない、全ての感情を、ひとつの曲にして繰り返し、繰り返し歌った。
意味を探しながらも、探しているのものが意味を超えていること、意味をはめてみることが意味を持たないこと、は、あのときから繰り返し繰り返し何かを書こうとして、書いたものをゴミ箱に捨て続けている自分が一番よくわかっている。

わたしはあの静かな存在だった彼女に、意味ではなく、声を探していた。
わたしの声は、意味などもたず、ただ感情を乗せて、呼吸に運ばれて、なんども大気に溶けた。

聞くことのなかったあの子の声との、音のない共鳴を求めて。

偶然にも曲の名前は「命の声」にしていた。


命の声が聞こえますか?

https://soundcloud.com/akiko-terai