2015年2月16日月曜日

遡る旅

2/18 空の上→晴 #140字日記 サンフランシスコ到着。こっちはまだ2月17日の夕方。空港の大きな窓。空が次第に暗くなっていく。英語とスペイン語とアジアの言葉、日本語も聞こえてくる。独特にフレンドリー。少しだけ遠い。いつのまにか、4年ぶりのアメリカ。
(140字日記は、日々のリズム刻んでくれるかもしれない。)

電車の中でうとうとしていたら、エクスキューズミー? と、中国人の男の子がわたしのスーツケースを渡してくれた。どうやら転がってしまったみたい。お礼を言うと彼は斜め前の中国人グループの中に帰っていった。どこに旅行した帰りなんだろう。高校生か大学生のあどけなさ。英語と母国語を自由に操つって、彼らは楽しそうに笑う。カルフォルニアだなと、思った。



「鍵置いとくから、勝手に入っていいよー。」住所と地図を頼りにやってきた先輩宅。誰もいないのに、いらっしゃい!って言ってくれているような。たくさんの写真。そこにある空気があったかくて、ほっとして、なんか泣きそうだ。こんな家を作りたいって、思ってたんだ。

センスなさすぎって言われてボツになったけど、最初「10年後、ともに会いに」のタイトルは「リビングルームストーリー」もしくは「居間での会話」にしようかなと思ってた。という原点を、思い出させてくれるようなリビング。



夕食を食べに外に出た。

性も人種も...アイデンティティってのはグラデーションなんだなと。
そう思える街。レインボーの旗が揺れる。

どこに行っても、どこに住んでも、いいんだよなー、と思う。

お金さえ稼げたら、どこにだって住めるのになあ。

あの時は朧げにしか見えなかった資本主義の根底にあるルールが
一巡りした今、はっきりと重みのある存在として体の中にある。

● 

10年前、ミネソタの大学を卒業して日本に戻る際
私はサンフランシスコで一泊できる便を探した。
3年半で大学を卒業することを決めた時、
せっかくならこの街を経由したいと思った。

街中のゲストハウスまでどうやって行ったのかは
覚えていないけれど街には生暖かい風が吹いていて、
宿は陽気な若者たちで盛り上がっていた。

どんよりと重い灰色の空に
雪混じりの静かな雨が降っていた街からやってきた私は
分厚いコートを脱げることに感動しながらも
住んでいた街の空気までは脱げなかった。

旅先でゲストハウスに泊まるのはとても好きなのに
積極的に交流する気にはなれず、2段ベッドの上に寝転んだまま
さっき別れてきたばかりの恋人に宛てたメールをなんども、なんども推敲した。
1日街を歩いて、東京に帰った。

サンフランシスコは、高校・大学と7年間を過ごしたアメリカからの出口だった。

東京で就職して、給料と休みを得られるようになって、
毎年数日はアメリカに友人たちを訪ねに行っていたけれど
4年前にフリーランスになってからはやめていた。
同じお金を使うなら、取材のために。
そう思うと、アフリカやアジアに足が向かい、アメリカは遠のいた。



10年前に出てきた時と同じ経路でアメリカに戻る。
今回は3週間の取材旅。
一昨年から取材しているあるグループを追いかけて、
サンフランシスコからアメリカに入り、ミネソタに行く。
偶然にも10年前と同じ季節に
あの時アメリカを出た自分を逆向きになぞることになった。

何か意味があるのだと思う。

何者になりたいか全くわからなかったあの頃とは違い
何になりたいかはわかっている。その為の取材。

一度出た同じ扉を開けて、新しい目的と文脈を持って
遡っていく旅の始まり。





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