2016年4月28日木曜日

とどまるということ

サンチアゴに来て3週間が経とうとしている。
毎日、学校と宿と仕事場にしている近くのカフェの間を行き来する日々が続いていたけれど、今日は学校が終わってから、なんとなく歩きたい気分だった。

ここ最近、毎日誰かしらが宿を去っている。宿だから当たり前なのだけれど、見送る度になんだか心がざわざわする。今までこういうとき、私はたいてい動いている側の人だった。

先週末、最初の2週間くらいを一緒に過ごしていたアルゼンチンの声優さんがちょっと気分転換と言って別の町へとベースを移した。その数日後、たくさん一緒にご飯を食べていたチリ人/現在スウェーデン在住の不動産屋さんもスウェーデンに帰っていった。同じ部屋のチリ人の男の子は週末になると海辺の町に帰る。アルゼンチン人で、ブエノスアイレスから出張ベースでここに来てはチリの大学で哲学を教えているお姉さんは「また近々出張に来るわ」と言っていたけれど、最近見かけない。

みんなここ以外の「どこか」に拠点をもっている。

たまに「帰りたいなあ」と呟いてみては、日本の家を引き払ったという事実を思い出し、自分でやったことなのに軽く唖然とする。

サンチアゴでもアパートを借りるつもりだった。でもたまたま泊まることにしたこの宿が、19世紀の女性作家が住んでいた家を改築したいい感じの建物で、美しいカフェスペースがあって、働いている子たちがとてもいい子たちで、滞在している人たちも魅力的で、通っている学校から歩いて3分だった。数日滞在してアパートを探すつもりが、1週間になり、2週間になり、そろそろ3週間になる。メンバーたちは少しずつ去っていって、気がついたら受付の子たちと数人を除いては、ほぼ知らない人たちになっていた。

だれかがいなくなる度に、目の前の変わらない景色に穴が空いて、そこが新しい人の出現によって埋まるのかといえば、そんなこともない。基本わたしは人見知りなのだ。「どこから来たの?」のひとことが上手くでてこないときがある。向こうも「どれくらい、いるの?」と聞いてくれるのだけれど「2週間」と答えると「わおー、長いんだね」と返事が戻ってきて、そうなると、私は「はー、まあー」と、なんだか曖昧な返事をして誤摩化してしまう。

たまに日本人の旅人たちがやってきて「あれ、まだいたんですか」とか「あ、長期滞在している人ですよね?」とか言われるのがちょっと辛い。宿に居座っている御局様みたいに見られたくないなー。ということでこれも距離を置いてしまう。

そんなこともあって、今日はまっすぐに帰らずちょっと歩きたかった。動きたかったんだと思う。町を歩いてカフェに入って本を広げた。その本はメキシコのオアハカでブックフェアがあったときに、作家さんの話を聞いて思わず買ってしまった本なのだが、読解するにはちょっと文法の勉強が必要だなと思っていた。サンチアゴでスペイン語の授業をとりはじめて3週間。久しぶりにページを開いたら、あ、この表現わかる!あ、これ授業でやったじゃない、と小さな感動が重なった。(スペイン語は主語が書かれないことが多いので、文法が分からないと、誰が何をしたのかが分からないことがあるそれが分かって話の流れがちゃんと追えたので感動一入だった)。

明日で必要と言われる文法を全部習いきったことになり一旦クラスも終わる。でも、もう少しだな。この言葉の感覚を、自分の書く文章に取り入れる為にはもう少し時間がかかる気がする。少なくともあと2週間くらいはここにとどまって、クラスを取って土台を固めたほうがいい気がする。

でもこのざわざわした気持ちは収まるだろうか? 

元々はサンチアゴの滞在は2週間の予定だった。それを既に1週間延ばしている。延ばした分だけ、はたと立ち止まった瞬間に、少し間延びした感覚を味わうことになる。

本当はいまごろ海辺の町に移って、友の近くで暮らしながら本を書き上げているはずじゃなかったんだっけ、とか、せっかくサンチアゴにいるのに全然新しい友達作っていないよね、とか、イベントとか出かけてないよねとか。なんで美しい田舎が沢山あるのにこの町に拘っているのだろうとか。この時間にできたかもしれない他のことに引っ張られる。フックになっているのは、たぶんこの生活のなかに潜むちょっとした孤独なんだと思う。

サンタルシアの丘に登って、国立図書館に寄って帰ってきた。宿は町の中心から見て西側にあり、視界の先の古い石造りのビルの間に見事なピンク色に染まった空が見えた。たぶん隣に夫がいたら「綺麗だねー」と言い合ったんだろうなと思う。

夫はいまペルーを旅している。マチュピチュに向かって歩いているらしく、ここ何日かは話をしていない。久しぶりにシングルに戻った感覚。私の場合、これまでの恋人がいない期間の方が断然長かったので、ひとりでいる感覚の方が慣れている。自分で自分と会話しているうちに、伸びやかに思考が広がっていく感じはとても懐かしい。一方でどこかで寂しさを抱えている。心のその部分は少し重く、重力も大きいみたいで、普段ならふわりと過ってどこかに行ってしまう言葉が、ゆっくり動いていく。きっと時にはひとりでいることも必要なんだ。すぐに「綺麗だね」と言えない分、私はこの空のことを忘れないだろうし、だからこうして文章を書いているんだろう。

ホステルに戻った。昨日まで私の部屋の向かいのベッドにはチリ人のジャーナリストのおじさんが住んでいたのだけれど、戻ってきたらそこには新しい旅人がパソコンを広げて陣取っていた。おじさん今日で出て行くなんて聞いていなかったんだけどな。お互い夜遅くに仕事しながら,チリの音楽の歴史から、デジタルメディアの今、この国に住む少数民族のことなど、色んなことを教えてもらって(いくつかの会話は録音しておきたかったくらい)、昨日なんて2時まで話し込んでいたのだから、バイバイくらい言ってくれたら良かったのに。またちょっと寂しい気持ちを抱えながらキッチンに降りて夜ご飯を作った。食べ終えて部屋に上がってまた暫くしたらおじさんが帰ってきた。でっかいMacのモニターと、たくさんの荷物を抱えて。

「あれ僕のベッドが無くなっている?予約、今日までのはずなのだけど

彼は、ここに泊まっている他のチリ人のように、週末は少し遠くの実家、平日はサンチアゴに出てきてここに止まりながら働いているのだけど、どうやら市内でアパートが見つかって明日からそっちに移るらしい。それでこれまで会社に置いていた荷物をどっさり持ってきたのだけど、宿の側は今日出て行ったのだと勘違い。手違いでベッドがなくなってしまった。急遽、彼は別の部屋に移ることになり、しばらく待ちの時間ができた。

とりあえず私のベッドに引っ越し荷物を置いて、リビングで一緒にお茶を飲むことになった。そこでは久しぶりに旅から帰ってきたペルー人のお兄さんがいた。彼とも何度か長い話をしていた。あるお昼時はずっとペルーの選挙について解説してくれて、私たちの世代の子たちが歴史をどんな風に見ているかを教えてくれていた。日本人のフジモリ大統領のことについてもこれまで知らなかった話を聞いた。1回長い話をした人とはすっと馴染める。

結局、私たち3人は夜中まで話し込んだ。学校も明日が最後の授業だからがっつり復習しておきたかったけれど、面白いことを話しているんだもの。しょうがない。ペルー人の男の子はデザイナーさんで、おじさんはジャーナリスト、私は物書き。この3人でいる組み合せは、今日この夜しかないのだもの。そんな風にして今夜も受け身の日々が過ぎて行く。ある人が私は風みたいだと言ったことがあったけど、風は動くのを止めたらただ透明になるんだろうか。

いろんなテーマを経由して夜も更けた頃、おじさんが私に聞いた。「君は〆切がある作品をどうやって仕上げているの?」

編集者さんとこれくらいかなーと目安を決めていた長編の〆切をいま正に踏み倒している私には、正直答えづらい問いだったのだけれど、ふと口をついて出た答えが、他ならぬ自分自身に響いた。

「最初は調子が緩やかに上がったり下がったりがくり返されていくの、で、ある時ぐんと、文章が走り出すときがある。ピークに向かっていると感じたら、他にやりたいことを全部手放して、それに集中するの」

そうだ。今はたぶん上がったり下がったりしながら離陸をしかけているときだ。
おじさんは更に聞いた。

「君はどんなときにインスピレーションを得るの?」
「歩いているとき。あなたは?」
「止まったとき。止まって目を閉じたら周りから沢山の音が聞こえて、その音の組み合せで、はたと、ひらめく時があるんだ」

それで思い出した。今日、ピンクの夕日を眺めながら帰ってくる途中、十字路の一角で、エレキギターを弾いている若者がいた。周りの人たちは仕事を終えて、家路についているのかこの後予定があるのか、だれも立ち止まってはいなかった。1曲終えて、アンプをセットし直して、その子は再びギターを弾きはじめた。そして、私が近づいて通り過ぎる、ほんの一瞬手前で静かに目を綴じたのだ。

流れている町の、その一角だけがスローモーションだった。長いまつげが重なって彼の世界が音だけになるのが見えた。調子のいいメロディーが流れ出して、しばらくするとそれは雑踏の中に驚くほど綺麗に馴染んでいった。まるで彼が辺りの雑音を絡めとって、編み込んで、音楽を作っているみたいに。体を揺り動かして、町に色を添えながら、彼は気持ち良さそうに音を奏でた。

私は思わず立ち止まってその光景を見ながら、彼を羨ましいと思ったんだった。夕暮れの人の流れの中でひとり留まり、音と自分の世界を紡ぐ彼はとても美しかった。 

その問いを最後に、彼らは寝室に戻っていった。明日チリ人のおじさんは引っ越すし、ペルー人のお兄さんもまたここを出て行くだろう。そして、私の心のなかにはまた小さな穴があく。それでもいいのだ。それでいいのだ。とどまり、向こうからやってくる言葉を絡めとっているうちに、はずみがついて浮き上がる。自分一人では知らなかった音を携えて。

もう暫く、とどまっていていいのだ。






メモ:もともとスペイン語でワンフレーズ思いついて書きはじめて、頭がまとまらなくて日本語で書き終えたのが、このエントリー。で、その後練習の為にもう一回スペイン語で書き直してみたら、この文章には入れなかった新しい要素が入ってきた。言語を行ったり来たりしながら、また文体が変わって来るのかなあ。

2016年4月14日木曜日

暮らしのはじまり:サンチアゴ


なんだかんだと4ヶ月もかかってしまった旅を終えて、ようやくサンチアゴで暮らしをはじめます。
(ちょっとの間ですが)

家族経営のこじんまりしたホステルにベッドを借りて、12年前にお世話になった語学学校に再入学の手続きに行ってきた。初めてここに来た時は全く話せなかったけれど「上級クラスでいいよ」と言われて、ちょっとほっとした。

私のスペイン語は、当時一緒に暮らしていたスペイン語の先生と仲良くなったスラムの男の子、ふたりからの贈り物だから、実用性とサバイバル力はある。日常生活には支障をきたさないし、通訳仕事も切り抜けてきた。

今回はいままで後回しにしていた文法を綺麗にして、この言葉で書かれた詩や文学に近づくのが目標。

元々この言語に惹かれたのは、ラテンアメリカ圏からの友人たちが教えてくれた歌の響きが、当時は意味も分からなかったのに音としてあまりにも美しかったからだった。その原点に戻ろうと思った。

旅や取材に振りきれそうになっていた私を、結構な僻地にあるチリのノーベル賞作家、ガブリエラ・ミストラルの博物館まで引っ張っていってくれた夫にはすごく感謝している。彼女が書き残した言葉たちを読みながら、その心を知りたいと思った。

その夫とはボリビアで別れた。彼はこれからペルーへと北上する。私はサンチアゴで一人暮らし。驚かれるけれど、私はこの夫婦の形が好きだ。

語学学校では早速ペルー人のショートストーリーを読んだ。
作家の名前は Fernando Iwasaki 日本とイタリアとエクアドルの混血のペルー人。
遠くにくると日本という概念が、国境よりもずっと広くて、外の世界と混ざりあっていることを思い出す。
彼の作品は短く淡々とした文章の中にざらっとした気持ち悪さを込めたホラー小説だった。

私は怪談系は映画も小説もこども向けの絵本ですらダメなので、「お願いだから違うのを読もうよ…」とお願いしたら、明日は歌詞を読むという。

明日のクラスを担当する先生のお気に入りの作詞家さんは、私がスペイン語を分かるようになりたいと思ったきっかけの歌を書いた人だった。

えーっ!!とふたりで盛り上がりながら、いい時間になりそうだなと思った。


文房具屋さんにノートを買いにいく途中で、あの頃たくさんの時間を過ごした広場を通った。

芝生の上で寝転ぶ学校帰りの高校生、遊具で遊ぶ子どもたち、ベンチで語り合う大学生たち、ストリートパフォーマー、清掃のお母さんたち、キスするカップル...。

あったかい太陽を背中に感じながら、21歳のときの私たちを想った。

スラムに暮らしていたチリ人の彼は、妻と息子と海辺の町に移り住んだらしい。
富豪の息子だったアメリカ人の彼は、山並みの美しい町で消防士になったみたいだ(FBによると)

私ひとりがこの町に戻ってきた。

3人の頃を思い出すのは、かさぶたを引っ掻くように痛くてくすぐったい。

語られた言葉、語られなかった言葉、すれ違った沢山の解釈、それでも心が通じていると思えた時間。

ちぐはぐで、うやむやで、あやうくて、尊かった。

なんども、なんども、あの頃のことを物語にしようとした。
書き進めて、行き詰まって、遠くを見た。

ふたりがぐんぐん前に進んでいく傍らで、私は記憶の破片やら描写の細部やらをひとつひとつ拾い集めて綴じるために、かれこれ2ヶ月半程もこの国を縦断している。

なんてゆっくり不器用にしか進めないんだと思うけれど、書くっていうのは結局ゆっくりで不器用なことなんだ。

たぶんこれから毎日ここに通うんだろうな。


ぐんぐん進んだらいいよ。思い出は私が拾い集めて、守るから。