サンチアゴに来て3週間が経とうとしている。
毎日、学校と宿と仕事場にしている近くのカフェの間を行き来する日々が続いていたけれど、今日は学校が終わってから、なんとなく歩きたい気分だった。
ここ最近、毎日誰かしらが宿を去っている。宿だから当たり前なのだけれど、見送る度になんだか心がざわざわする。今までこういうとき、私はたいてい動いている側の人だった。
先週末、最初の2週間くらいを一緒に過ごしていたアルゼンチンの声優さんがちょっと気分転換と言って別の町へとベースを移した。その数日後、たくさん一緒にご飯を食べていたチリ人/現在スウェーデン在住の不動産屋さんもスウェーデンに帰っていった。同じ部屋のチリ人の男の子は週末になると海辺の町に帰る。アルゼンチン人で、ブエノスアイレスから出張ベースでここに来てはチリの大学で哲学を教えているお姉さんは「また近々出張に来るわ」と言っていたけれど、最近見かけない。
みんなここ以外の「どこか」に拠点をもっている。
たまに「帰りたいなあ」と呟いてみては、日本の家を引き払ったという事実を思い出し、自分でやったことなのに軽く唖然とする。
サンチアゴでもアパートを借りるつもりだった。でもたまたま泊まることにしたこの宿が、19世紀の女性作家が住んでいた家を改築したいい感じの建物で、美しいカフェスペースがあって、働いている子たちがとてもいい子たちで、滞在している人たちも魅力的で、通っている学校から歩いて3分だった。数日滞在してアパートを探すつもりが、1週間になり、2週間になり、そろそろ3週間になる。メンバーたちは少しずつ去っていって、気がついたら受付の子たちと数人を除いては、ほぼ知らない人たちになっていた。
だれかがいなくなる度に、目の前の変わらない景色に穴が空いて、そこが新しい人の出現によって埋まるのかといえば、そんなこともない。基本わたしは人見知りなのだ。「どこから来たの?」のひとことが上手くでてこないときがある。向こうも「どれくらい、いるの?」と聞いてくれるのだけれど「2週間」と答えると「わおー、長いんだね」と返事が戻ってきて、そうなると、私は「はー、まあー」と、なんだか曖昧な返事をして誤摩化してしまう。
たまに日本人の旅人たちがやってきて「あれ、まだいたんですか」とか「あ、長期滞在している人ですよね?」とか言われるのがちょっと辛い。宿に居座っている御局様みたいに見られたくないなー。ということでこれも距離を置いてしまう。
そんなこともあって、今日はまっすぐに帰らずちょっと歩きたかった。動きたかったんだと思う。町を歩いてカフェに入って本を広げた。その本はメキシコのオアハカでブックフェアがあったときに、作家さんの話を聞いて思わず買ってしまった本なのだが、読解するにはちょっと文法の勉強が必要だなと思っていた。サンチアゴでスペイン語の授業をとりはじめて3週間。久しぶりにページを開いたら、あ、この表現わかる!あ、これ授業でやったじゃない、と小さな感動が重なった。(スペイン語は主語が書かれないことが多いので、文法が分からないと、誰が何をしたのかが分からないことがある…それが分かって話の流れがちゃんと追えたので感動一入だった)。
明日で必要と言われる文法を全部習いきったことになり一旦クラスも終わる。でも、もう少しだな。この言葉の感覚を、自分の書く文章に取り入れる為にはもう少し時間がかかる気がする。少なくともあと2週間くらいはここにとどまって、クラスを取って土台を固めたほうがいい気がする。
でもこのざわざわした気持ちは収まるだろうか?
元々はサンチアゴの滞在は2週間の予定だった。それを既に1週間延ばしている。延ばした分だけ、はたと立ち止まった瞬間に、少し間延びした感覚を味わうことになる。
本当はいまごろ海辺の町に移って、友の近くで暮らしながら本を書き上げているはずじゃなかったんだっけ、とか、せっかくサンチアゴにいるのに全然新しい友達作っていないよね、とか、イベントとか出かけてないよねとか。なんで美しい田舎が沢山あるのにこの町に拘っているのだろうとか。この時間にできたかもしれない他のことに引っ張られる。フックになっているのは、たぶんこの生活のなかに潜むちょっとした孤独なんだと思う。
サンタルシアの丘に登って、国立図書館に寄って帰ってきた。宿は町の中心から見て西側にあり、視界の先の古い石造りのビルの間に見事なピンク色に染まった空が見えた。たぶん隣に夫がいたら「綺麗だねー」と言い合ったんだろうなと思う。
夫はいまペルーを旅している。マチュピチュに向かって歩いているらしく、ここ何日かは話をしていない。久しぶりにシングルに戻った感覚。私の場合、これまでの恋人がいない期間の方が断然長かったので、ひとりでいる感覚の方が慣れている。自分で自分と会話しているうちに、伸びやかに思考が広がっていく感じはとても懐かしい。一方でどこかで寂しさを抱えている。心のその部分は少し重く、重力も大きいみたいで、普段ならふわりと過ってどこかに行ってしまう言葉が、ゆっくり動いていく。きっと時にはひとりでいることも必要なんだ。すぐに「綺麗だね」と言えない分、私はこの空のことを忘れないだろうし、だからこうして文章を書いているんだろう。
ホステルに戻った。昨日まで私の部屋の向かいのベッドにはチリ人のジャーナリストのおじさんが住んでいたのだけれど、戻ってきたらそこには新しい旅人がパソコンを広げて陣取っていた。おじさん今日で出て行くなんて聞いていなかったんだけどな。お互い夜遅くに仕事しながら,チリの音楽の歴史から、デジタルメディアの今、この国に住む少数民族のことなど、色んなことを教えてもらって(いくつかの会話は録音しておきたかったくらい)、昨日なんて2時まで話し込んでいたのだから、バイバイくらい言ってくれたら良かったのに。またちょっと寂しい気持ちを抱えながらキッチンに降りて夜ご飯を作った。食べ終えて部屋に上がってまた暫くしたらおじさんが帰ってきた。でっかいMacのモニターと、たくさんの荷物を抱えて。
「あれ僕のベッドが無くなっている…?予約、今日までのはずなのだけど…」
彼は、ここに泊まっている他のチリ人のように、週末は少し遠くの実家、平日はサンチアゴに出てきてここに止まりながら働いているのだけど、どうやら市内でアパートが見つかって明日からそっちに移るらしい。それでこれまで会社に置いていた荷物をどっさり持ってきたのだけど、宿の側は今日出て行ったのだと勘違い。手違いでベッドがなくなってしまった。急遽、彼は別の部屋に移ることになり、しばらく待ちの時間ができた。
とりあえず私のベッドに引っ越し荷物を置いて、リビングで一緒にお茶を飲むことになった。そこでは久しぶりに旅から帰ってきたペルー人のお兄さんがいた。彼とも何度か長い話をしていた。あるお昼時はずっとペルーの選挙について解説してくれて、私たちの世代の子たちが歴史をどんな風に見ているかを教えてくれていた。日本人のフジモリ大統領のことについてもこれまで知らなかった話を聞いた。1回長い話をした人とはすっと馴染める。
結局、私たち3人は夜中まで話し込んだ。学校も明日が最後の授業だからがっつり復習しておきたかったけれど、面白いことを話しているんだもの。しょうがない。ペルー人の男の子はデザイナーさんで、おじさんはジャーナリスト、私は物書き。この3人でいる組み合せは、今日この夜しかないのだもの。そんな風にして今夜も受け身の日々が過ぎて行く。ある人が私は風みたいだと言ったことがあったけど、風は動くのを止めたらただ透明になるんだろうか。
結局、私たち3人は夜中まで話し込んだ。学校も明日が最後の授業だからがっつり復習しておきたかったけれど、面白いことを話しているんだもの。しょうがない。ペルー人の男の子はデザイナーさんで、おじさんはジャーナリスト、私は物書き。この3人でいる組み合せは、今日この夜しかないのだもの。そんな風にして今夜も受け身の日々が過ぎて行く。ある人が私は風みたいだと言ったことがあったけど、風は動くのを止めたらただ透明になるんだろうか。
いろんなテーマを経由して夜も更けた頃、おじさんが私に聞いた。「君は〆切がある作品をどうやって仕上げているの?」
編集者さんとこれくらいかなーと目安を決めていた長編の〆切をいま正に踏み倒している私には、正直答えづらい問いだったのだけれど、ふと口をついて出た答えが、他ならぬ自分自身に響いた。
「最初は調子が緩やかに上がったり下がったりがくり返されていくの、で、ある時ぐんと、文章が走り出すときがある。ピークに向かっていると感じたら、他にやりたいことを全部手放して、それに集中するの」
そうだ。今はたぶん上がったり下がったりしながら離陸をしかけているときだ。
おじさんは更に聞いた。
「君はどんなときにインスピレーションを得るの?」
「歩いているとき。あなたは?」
「止まったとき。止まって目を閉じたら周りから沢山の音が聞こえて、その音の組み合せで、はたと、ひらめく時があるんだ」
それで思い出した。今日、ピンクの夕日を眺めながら帰ってくる途中、十字路の一角で、エレキギターを弾いている若者がいた。周りの人たちは仕事を終えて、家路についているのかこの後予定があるのか、だれも立ち止まってはいなかった。1曲終えて、アンプをセットし直して、その子は再びギターを弾きはじめた。そして、私が近づいて通り過ぎる、ほんの一瞬手前で静かに目を綴じたのだ。
流れている町の、その一角だけがスローモーションだった。長いまつげが重なって彼の世界が音だけになるのが見えた。調子のいいメロディーが流れ出して、しばらくするとそれは雑踏の中に驚くほど綺麗に馴染んでいった。まるで彼が辺りの雑音を絡めとって、編み込んで、音楽を作っているみたいに。体を揺り動かして、町に色を添えながら、彼は気持ち良さそうに音を奏でた。
私は思わず立ち止まってその光景を見ながら、彼を羨ましいと思ったんだった。夕暮れの人の流れの中でひとり留まり、音と自分の世界を紡ぐ彼はとても美しかった。
その問いを最後に、彼らは寝室に戻っていった。明日チリ人のおじさんは引っ越すし、ペルー人のお兄さんもまたここを出て行くだろう。そして、私の心のなかにはまた小さな穴があく。それでもいいのだ。それでいいのだ。とどまり、向こうからやってくる言葉を絡めとっているうちに、はずみがついて浮き上がる。自分一人では知らなかった音を携えて。
もう暫く、とどまっていていいのだ。
※
メモ:もともとスペイン語でワンフレーズ思いついて書きはじめて、頭がまとまらなくて日本語で書き終えたのが、このエントリー。で、その後練習の為にもう一回スペイン語で書き直してみたら、この文章には入れなかった新しい要素が入ってきた。言語を行ったり来たりしながら、また文体が変わって来るのかなあ。
※
メモ:もともとスペイン語でワンフレーズ思いついて書きはじめて、頭がまとまらなくて日本語で書き終えたのが、このエントリー。で、その後練習の為にもう一回スペイン語で書き直してみたら、この文章には入れなかった新しい要素が入ってきた。言語を行ったり来たりしながら、また文体が変わって来るのかなあ。
0 件のコメント:
コメントを投稿