2019年7月1日月曜日

仕事のこと/ works



一部です。 *をクリックするとリンクに飛びます。







<著書>



「10年後、ともに会いに」  


世界40カ国の20代を訪ねた旅の記録



「草原からの手紙」     

マサイの長老とスコットランドの冒険家の子孫が歩いた6日間の旅




次作についてのインタビュー 







<連載>


 

国際開発ジャーナル:アジアの女性起業家たち

ソトコト:アフリカビジネスニュース アフリカの起業家達のインタビュー記事

TABI TABI TOYO:南米のアーティスト・詩人たちについて



文芸: アパートメント




<寄稿>

うずまきのように / Travel like a spiral *(deepline setouchi)

Follwing the footsteps  (the star)

イースター島のモアイ達 (東洋経済)

タイニーハウス (sumika)

地域通貨  (greens) 



    他、 the earthnews, serendipity travel, sotokoto, など 紙面多数



<展示>

海とマグマとシャボン玉 




<OnTheTrip/Travel Guide with Stories> 

せとうちで聴きたい10の物語 * 
 Must Hear Stories from Setouchi  *


小さな命の歌が聞こえる *
  Small Sounds of Life * 

(中津万象園・Nakatsubanshoen)


旅の始まりとしての博物館  
Where new journeys begin *

(おきみゅー・Okinawa Prefectural Museum Art museum)


妖怪はいるのか、いないのか *
 Yokai don't exist, or maybe you just can't see them *
 

(妖怪美術館・yokai art  museum)



<インタビュー・媒体掲載>


執筆活動について

MOMOプロジェクト

ドキュメント“ものをつくるということ”




働き方について

We Work Here





暮らし方について

GQ
(他、NHK、共同通信、朝日新聞など)





<アーティスト通訳>


東宝「世界から猫が消えたなら」

Adobe with qubibi

Adobe with NAM:

細江英公 with Landy Beach































2018年4月7日土曜日

声、意味ではなく

4.1 

命日は毎年やってくる。それに心のアンテナを向けるのか、
今年も問われて、そして立ち止まった。

昼過ぎに起きてきて、外に出るも、駅までさえ歩くのがしんどい。
花粉のせいなのか、今日が4月1日だからなのかはわからないけれど。

カフェにこもって、本を読んだ。

「声、意味ではなく」(和田忠彦)

ひとつの声が意味するのはこういうことだ。
ひとりの人間がいて、喉をふるわせ胸部をひらき、感情をこめて、ほかのどの声とも異なるその声を、大気の中に放つことだ。
(声、意味ではなく。あるいは、耳をすます王)

溢れそうになる。

私はあの子の声を聞くことはなかった。
わずか5ヶ月の体で保育器のなかに入っていた彼女は、泣かなかったと記憶している。
ただ、全身で、全力で、肺を膨らませ、息をしていた。

彼女の存在によって、私は喉をふるわせ、胸部をひらいた。言葉では捕まえきれなかった、そして今も捕まえきることのできない、全ての感情を、ひとつの曲にして繰り返し、繰り返し歌った。
意味を探しながらも、探しているのものが意味を超えていること、意味をはめてみることが意味を持たないこと、は、あのときから繰り返し繰り返し何かを書こうとして、書いたものをゴミ箱に捨て続けている自分が一番よくわかっている。

わたしはあの静かな存在だった彼女に、意味ではなく、声を探していた。
わたしの声は、意味などもたず、ただ感情を乗せて、呼吸に運ばれて、なんども大気に溶けた。

聞くことのなかったあの子の声との、音のない共鳴を求めて。

偶然にも曲の名前は「命の声」にしていた。


命の声が聞こえますか?

https://soundcloud.com/akiko-terai

2018年3月3日土曜日

2018.3.2 生きのびよう

娘が生まれた時、彼女に向かってそう呼びかけた。

その夜、私は帝王切開の痛みで気がおかしくなりそうで
彼女は隣のベビーベッドの上で激しく泣いていて
その泣き声が、ぷかぷか浮いていたお腹の中から突如出されて
この世に生まれてきてしまったことへの戸惑いと混乱の声に聞こえた。

お腹を切られた痛みと
子宮が収縮しようとする痛みとで朦朧としながら
私は何度も何度も彼女に「生き延びよう」と声をかけた。

あなたも、私も、この世界を生き延びるんだ。
美しくて、儚くて、哀しみに満ちているけれど
生きることをたった一つの使命として、
あなたと私はここにいるから。

生きよう、今夜一晩を生きのびよう、そして明日を生きのびよう。

*****

昼下がり。

お昼寝できるようにと添い乳をしていたはずが、いつのまにか一緒にぐっすりと寝てしまった。

本当は今日はあなたをつれて海辺の町の物書きたちの集まりに行くはずだったけれど
外は花粉がすごく舞っているらしいから、遠出は諦めよう。

それならば、お昼すぎから近所でやってるヨガ教室に一緒に行こうか。
いま起きてくれたら間に合うんだけどな。

かすかないびきと寝息の間、小さく、規則ただしく刻まれる音。
ちいさな両腕を広げて、あまりに穏やかな寝顔。

このままそっとしておこう、と、今日の予定を消す。

少し汗ばんだわたしたちは、こうして、少し早い春の木漏れ日の中に穏やかに漂っている。
こうしているうちに今日が終わって、明日がやってきて、それでもう一日生き延びることができたら、それはそれで、とても幸せじゃないか。


いま、私の体を過ぎる言葉たちを全て書き留められなかったとしても、あなたを包むあまりにも豊かなイメージのなかに、身を委ねている。

生きのびようと初めて声をかけたあの夜から、ずいぶんと大きくなって、それでもまだとても小さな体から、小さな吐息から、発せられる大きな世界の中に漂っている。

この時間が私の言葉に宿る日はやってくるだろうし、たとえそうでなくても、あなたから広がるこの世界に、どっぷりと浸ってみたいのだ。



2018年2月14日水曜日

2017.2.13 一歩手前

しおが淺野さんに向かって、身を乗り出している。
テーブルの上にうつ伏せにおいてやると、腹ばいになって身を起こす。
「こっちにくるかい?」
淺野さんが両手を揃えて、テーブルを優しく叩いた。

しおは声で、目で、表情で、その音に反応する。
あー きゅっ にっこりと笑って
そっちに行きたそうに 


どうしたらいいかを考えている

片手を伸ばす
その反動で 両方の手が浮いて 
パラグライダーのポーズになる

手と足をバタバタさせて
それからまた両手をついて持ち直す

私はその時間の中に
永遠にとどまっていたいと思う。

やがて お尻が片方だけ わずかに持ち上がる

彼女は手を宙に伸ばして
時間を前に手繰り寄せた




2018年2月12日月曜日

2017.2.12 愛と愛の狭間

私が何日か夜に家をあけたことで、
順がしおりの寝かしつけをできるようになった。
新しい局面に入ったんだなあと思う。

せっかく彼が始めてくれた習慣。
私も寝かしつけを添い乳なしでやってみようとして
順がひさしぶりの飲み会に行っている間に試みてみた。

しおは乳を求めて泣いた。
ずっと泣いていて、いたたまれなくなった。
出産とは長い別れの始まりと、出産のときに思ったことを
繰り返し思う。

乳をあげたい、安心させてあげたい、飲む姿を見ていたい
この子がひとりで眠りにつけるようにしてやらねば

愛と愛との狭間で揺れながら
泣き続けるしおを抱きしめて ぎゅっと抱きしめて
嵐のような夜を漂っていた。

しおは30分くらい泣き続けると すうと泣き止んだ

静寂。

また思い出したように泣き、その度にゆりかごの歌を歌った。

2017年9月16日土曜日

09.16.201

最後に日記帳を開いてから早1ヶ月が経とうとしている。
時はうさぎのように駆け抜けるとはよく言ったものだと思う。
私がうさぎの尻尾すら見えないなか、しおは透明な蝶々を追いかけ続けている。

最近彼女は人間らしくなってきた。
絹のようにどこにも引っかかりがなかった肌には汗疹ができるようになったし、不思議そうな表情以外にも、時折目の中に石が見えるようになった。

それでも大人の私たちには絶対に真似できない小動物的な声でくうんと鳴いてみたり、はあと愛くるしいため息を吐いたりする。

ベビーベッドからその声が聞こえてくると、私まで人間界の外に一瞬飛び出したような、何かと交信しているような気持ちになる。(宇宙という漠としたものよりは、安心感のある何かと)

この前、順と、しおと3人でひとつの布団に並んでネタ。幸福な気持ちで満たされて、溢れて、じんわりと痺れた。溢れて、真夜中にフェイスブックにひとこと「川の字♡」とポストしたくなった(やらなかったけれど、かなり素直にやりたかった)

3人でいることの幸せを噛み締めている。
「こんな幸せがあることを知らなかった」と順は毎日のように言っている。

今のところしおは彼に似ている。少し眉をひそめた表情なんかはとくに。

順は自分に似た子、自分の子がいるという驚きについて最近よく話す。

私は自分の子という気持ちにはまだならない。
膨らんでいたお腹のこともあまりよく思い出せない。

授かったもの、預かったもの
砂時計とか、線香花火とか 
切ないものに焦点を合わせるような気持ち。




(W.H. Auden “As I Walked Out one Evening”
 Years shall run like rubbits. 
    Before Sunrise という映画で 主人公が口ずさんだ一節)
 

2016年9月4日日曜日

再会の夜に

オアハカで知り合ったサトさんとまさかの下北沢で再会した。

オアハカに住んでた頃、サトさんは日中はデッサンの学校に行っていて、夜になると私たちが借りていたアパートのすぐ近くで地元の人に混ざって道売りをしていた。

時折、誰かが「サト、歌って!」と声をかけると、いつも持っている小さなギターのような楽器をケースから取り出して、ソンハローチョという伝統音楽をピンと張っているのに穏やかな声で歌っていた。

私はそんな彼女の隣に座らせてもらう夜が好きだった。彼女の作るアクセサリーを見に来る人、挨拶にやってくる他のアーティストたち、隣近所に夜店を出しているおばあちゃんたちとお喋りしながら、あの町の夜の時間が内包する優しさを知って、体にしみ込んでくるのが好きだった。

さとさんは明日にはオアハカに帰るという。私はいつになるだろう。

さとさんの歌声は、オアハカの時とちっとも変わっていなくて、それは私に「あなたはあの時と変わらずにいる?」と問いかけた。メキシコを離れて10ヶ月、日本に帰国して1ヶ月が経って、随分とあの時の自分とは変わってしまったかもなと思う。


たっぷりの時間をまとって、人の言葉や気配や仕草を感じていたオアハカでの時間。そうやって生きていきたいと思うのに、どうして、この町に戻ってくるといつの間にか意図が絡まってしまうんだろう。

さとさんに会いにきた沢山の人たちと下北沢の夜の町を歩いた。私がちょっと遠回りだけどいい?と行って、この町に来てくれる人たちを連れて行く闇市を、彼らは当たり前のように通ってくれた。あれ、この魚屋さんなくなっちゃうんだね、とみんなで立ち止まったところには、降りたままのシャッターに「98年間、ありがとうございました」と張り紙がしてあって、この町がこれから失っていくものが、そこに凝縮されている気がして痛かった。

今晩たくさん歌ってくれたから、私もあの町の空気を少しだけまた纏えた気がしたよ。