2015年10月3日土曜日

私たちの小旅行

10.3.2015

「海に行こう」と親友が言った。それは彼女の4歳と生まれて3か月の子どもを連れての旅を意味する。

私たちは何度もシュミレーションした。乳児1人、幼児1人。大人は彼女と私と私の夫の3人。大丈夫なはず。

それでも出発の日の朝、バス停に夜行バスのチケットを買いにいく車のなかでお互い少し不安だった。夜に旅することは、昼間のバスよりも夜行バスの方が揺れの少ない安全なルートを通ることも加味して決めたのだけど、それでも私には乳飲み子を夜行バスに乗せることへの、漠然とした罪悪感があった。

「私たちクレイジーかな」と呟くと、それまでロジの話ばかりしていた彼女が、本音を言った。

「子どもが産まれてから、仕事と親に顔を見せに行く以外の理由で旅を計画するのは初めてなの。自分が楽しもうとしたら、罰としてこどもたちになにか悪いことが起きるんじゃないかって、なんとなく怖かった。だからこれまで友人たちが海に行っても、私は一緒に出かけることをしなかった。でも本当は娘にだってずっと私が一番好きな海を見せてあげたかった。あなたがここにいて、それは特別なことで、冷静に考えたらできるって思えて...このチャンスを逃したらいつ、自分の想いに従って行動を起こするの?って思っている」

正直その言葉を聞くまで、私の誕生日が近いことで、彼女はなにか特別なことをしてくれようと無理しているんじゃないかと思っていた。でも違う、これは私たちがともに前進するための旅だ。

楽しむためだけの旅ができなくなっていたのは彼女だけじゃない。ここ数年私も、里帰りを除けば、出張ないし、取材ないし、少しでも仕事に関わる旅以外には出ることに躊躇するようになっていた。親友のいるオアハカに住んでみることにしたものの、それもクレイジーさを埋めるために、いくつかの仕事の理由をつけてコーティングしてきたような気がする。

バス停に着いたわたしたちは、敢えてキャンセルの効かないチケットを買うことにした。







オアハカから一番近い海は、奇しくもメキシコ最南端の砂浜。それは親友が一番好きなビーチだという。

翌朝、私たちはその場所に立っていた。夜行バスの中で過ごした長い夜の疲れを背負いながら、親友は0歳の息子を胸に抱え、私は自分と彼女の鞄を抱え、夫は彼女の4歳の娘を抱っこしていた。



宿を取って、ただゆっくりしようと決めていた。大事なのはこどもたちも、私たちも、誰も無理をしないこと。

それでもカフェで朝ご飯を頼んで待つ間、娘ちゃんは待ちきれない様子で、寄せてくる波に熱いまなざしを向けている。

その後ろ姿を、母親の彼女がカフェの椅子から見守っている。

「大丈夫?」バスの中ではふたりの子供をかかえ、おそらく殆ど眠れていないはずだ。
「うん、疲れた...。でも波の音がして、息子が腕の中で眠っていて…いま言葉にできないくらい幸せ」彼女は私がとても好きだった表情をしていた。

「来れたね」と私は呟いた。
「うん」

波の音が、長い余白を埋める。

先に言葉を見つけた彼女が、いたずらっぽく笑った。
「ねえ、19の頃、つまり出会ったころに想像できた? あなたの旦那さんが、私の娘と並んで、ふたりで海を眺めている光景を」

いつの間にか夫が娘ちゃんの隣に座って遊んでいた。共通の言語を持たないふたりは、それでも随分と仲良くなっていた。

「会いにこれてよかった。会いたかった」純度の高い言葉が口をついた。
「クレイジーネスは伝染するんだね」彼女は言った。



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