2015年10月5日月曜日

誰かの夜が自分の夜の側にあること

2015.10.5

パソコンの画面を睨んでいたら、いつの間にかずいぶんと夜が更けていた。
急にお腹がすく。家にあるものでは簡単に作るにしても何かが足りない。
上着を引っ掛けて外に出た。

1つ先の角にある八百屋はさすがにもう閉まっていたけれど、その近くの酒屋さんが玉葱を売っていた。家に半分残っているズッキーニとトマトソースを合わせたらパスタぐらいはできそうだ。

帰路につくとアパートの向いのAntigua Saborにもう夜10時半だというのに、まだ人がぽつりぽつりと入ってくるところだった。

このままひとり、財布とノートだけを持ってあちらの席に座るのも悪くないなと思う。(そういう時は結構書けたりする。こんな夜にはより多くの言葉が漂っているのだ)

部屋に帰ってきて窓を開ける。
2階にあるこの部屋からは、お店の様子がよく見える。

若い男性と女性のコンビが今日もギターを抱えて店に入っていく。
彼女達は、毎昼毎晩、この店で何曲かの歌を演奏していく。

涼しい風がこっちにおいでと誘う。

私たちの間にあるのは小さな通りなので店の前に出された看板のメニューが見える。
クラブサンドウィッチ、タコス、Alambre...Alambreって何だろう。

パソコンで調べたら、出てきた画像にはたっぷりチーズがかかっていて少し胃に重たそうだった。やっぱり今日は大人しくパスタを作ろう。

玉葱とズッキーニを切る。野菜を炒めてソースを絡める。
お湯が沸くのを待つ間、再び窓の外に目をやると、レストランで働くお母さん達が何かを話しながらトルティーヤを大きな台の上で温めているところだった。
一瞬目があった気がした。

2人組の男性が入ってきて、私からも見える場所に座った。しばらくすると、もうまたひとりがお店の入り口から同じテーブルに合流した。
仲間同士1日の疲れをねぎらいながら、さっと食事をして帰るのだろう。

誰かの日常のすぐ隣にいること。
私の日常も隣り合わせにあること。

お互いの気配が、はく息が、長く延びる夜を温める。

鍋のお湯が沸いた。
私は少なめにパスタを入れた。

ギターの音色と鍋のくつくつが絡まっていった。




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