いよいよ明日が引っ越し、明後日が引き渡しだ。
通いつめた肌色の灯りをともすカフェのマスターにご挨拶。
いままで知らなかったマスターのことをいくつか教えてもらった。
「メキシコにもトムネコゴがあったらいい」のに、と言ったら
「あるかもしれませんよ」、と彼は笑った。
「あるかもしれませんよ」、と彼は笑った。
次は夫がよく通っているお店に入る。
カウンターに通されて、最後に何食べようと見ていたら
店長が「今日はとっておき用意してますのでちょっと待っててくださいね」と言った。
「これお店からです」
とん、とシャンパンボトルが目の前に置かれて、なぜかグラスが8つも出てきた。
店長がスタッフさんに「ちょっと集まれ」と声をかける。
お店は満席でフロアもキッチンも忙しかったのに、全員集めてグラスを配った。
「それじゃあいいかな? 門出に乾杯!」
「かんぱーーーい」
かちんとグラスが8つ合わさって
お店とお客さんの境界線がすっとその瞬間だけ消えて
ああ、この町の時間を一緒に過ごしてきた人たちなんだと思った。
愉快で賑やかな人たちは、くくっとグラスを飲み干すと
すぐにいつもの元気を振りまきながら、フロアやキッチンに戻っていった。
いつものサラダがでてくる。今日はでたらめなくらいに大盛りで出てくる。
原稿の終わりが見えなくて青くなっていた夜
アフリカへの長期出張でお肉しか食べてなくて口内炎がつくって帰国した時
ビール片手に幸せそうな旦那の隣で、この野菜たちを食べて元気になってきた。
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帰り道。いつもの橋の上で、急にこみ上げてきた。
最初にこの町に引っ越してきたとき私たちは小さな部屋に住んでいて
「前庭(井の頭公園)が最高に広くて気持ちいいからいいよね」と笑いあっていた。
毎晩の帰り道、池にきちんと並んで眠る白鳥たちを見て安心して、
虫や蛙の声に包まれて眠った。
虫や蛙の声に包まれて眠った。
庭だったから、色んなお気に入りのスポットがある。
あのベンチは橋を見たいときのベストスポット。夏は蚊が多いけどね。
あのベンチは言葉が出てこないとき。
背もたれに刻まれたプレートの言葉にどぎりとしたんだ。
背もたれに刻まれたプレートの言葉にどぎりとしたんだ。
あのベンチは木陰の感じが抜群に素敵だけど、
だいたいはいまにも恋が始まりそうなカップルが座っている。
だいたいはいまにも恋が始まりそうなカップルが座っている。
広い宇宙を感じたいときは、高くそびえる木々の中を。
隠れて泣きたいときは、雨を受けてきらめく葉の間を。
そうそう水辺に飛び出しそうなあの枝は、
他の蔦が絡まってちょっとセクシーなところがいいんだ。
そんなことも、もっともっと細かいことも知っている。
●
32年いろんな場所に暮らしたけれど、間違いなく
もっとも穏やかで日々幸せを感じていたのがこの2年だった。
もっとも穏やかで日々幸せを感じていたのがこの2年だった。
自分が生きるのに必要な要素がバランスよく合わさっていて、
その調和の中に私はぷかぷか浮いていることができた。
その調和の中に私はぷかぷか浮いていることができた。
「だからこそ、より深く潜るために離れなきゃダメなのよ」
言葉を仕事にしている大先輩が言った。迷いなく。
「私の遺言だと思いなさい」
先に進まなくてはいけないことは分かっている。
それでも次にこの橋の上に立つ時には
ここに暮らしていないことを思うと、澄んだ夜が離れがたい。
旅ばかりしていくと思っていたのに
暮らしにこんなにも強く執着している。
ここに暮らしていないことを思うと、澄んだ夜が離れがたい。
旅ばかりしていくと思っていたのに
暮らしにこんなにも強く執着している。
今夜の自分は、雨粒を残した葉っぱの一部だと思った。
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