1日目、昼過ぎにアパートに着いて荷解き。
2日目、スーパーに買い出しに行って洗濯を済ませる。
昼食はアパートの1階にあるカフェで本日のおススメを頼んだ。
コオロギのオムレツが出てきて驚いた。
ふわふわした卵の中にぴりっとした辛さがアクセントになって美味しかった。
たぶん美味しかったことにも驚いた。
コオロギのオムレツが出てきて驚いた。
ふわふわした卵の中にぴりっとした辛さがアクセントになって美味しかった。
たぶん美味しかったことにも驚いた。
夜は散策に出た途端に夕立に降られ、雨上がりのゾカロでトルティーヤスープを食べた。
マリアッチの演奏に合わせてゆったり踊る年配のカップル達を眺めながら、メキシコなんだよなと、実感なく考えた。ところどころの道で迷子になりながら帰った。
一夜明けた今日、3日目。
夫は朝早く起きて語学学校に向かい、私はそれを見送ってから、もう一度まどろむ。
シャワーを浴びて、確認ごとをしようと開いたfacebookから情報に捕まり、しばらくネットの海を泳ぐ。
ああ外に出ないと。
朝の「出なきゃ」と「もう少し」の気だるい綱引きは三鷹にいたころとあまり変わらない。違うのは窓の外の賑やかな音と光。ラジオ・音楽・スペイン語、さんさんと差し込む太陽。
眩しい外に出て歩き出すと、足取りが軽くなった。足の裏で取るリズムは気持ち弾んでいる。そうそうこの感じ。旅の感覚がようやく戻ってくる。
お互いにほぼ一人旅しかしたことがないふたりが一緒に旅をする。それも家を借りて、そこを拠点に暮らしながら旅をする。
それはこれまでふたりで築いてきた暮らしをそのまま旅を持ち込んでいるような感覚があって、馴染んだ旅の感覚とはだいぶずれている。
いつもひとりだった旅のベッドに、暮らしのホームで待ってくれていた人が一緒にいるのは幸せである前になんだか落ちつかない。
二晩とも夜中にひとり抜け出して、小さな居間のソファーに体を沈めた。
ひとりでいるときの張りつめた(研ぎすまされた?)感覚とともに言葉が戻ってきて、しばらくその中を漂って安心した後にベッドに戻った。
甘えられる人がいて、安心に満たされた空間には言葉を漂う余白がないみたいだ。
いまのところ私には見つけられない、ということだけど。
正直、寝不足で困ってもいる。
でも必要な舵を切ったのだとも思う。
この半年の時間をとったのには、いくつかの目的があるけれど、ホームと冒険を繋げる旅という側面もあるんだと思う。
左脳的で、歴史と文化人類学とアートをこよなく愛する彼と、右脳頼り、メロディーと物語の断片と言葉が宙に舞っている私。ひとりの感性で見ていた世界がこんなふたりの組み合せにどう映るのか。それはきっと面白い。
昼食は地元のお母さんが目の前でこねて焼いてくれたトルティーヤ、大きなグラスにこれでもかと入ったスイカのジュース、トマトスープ・バジルとクリームのソースをかけたチキン。
オレンジ色に壁にはステンシルでメッセージが書かれていた。
"Aqui, no solo se cocina con las manos, también con el corazón."
"La comida es rica y saludable cuando esta preparada con Amore pure"
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