2015年9月3日木曜日

10年後、祖母からの手紙


実家の本棚の整理をしていたら祖母が愛用していた本が出てきた。
遺品整理の時に、なんとなく私が預かっていたもの。
ぱらぱらとめくっていたら、中に紙切れが挟まっていて、
それが私宛の手紙だと気がつくまでに少しの間があった。
 
私はあのころ住所を持っていなかったから、
祖母もそれを出すつもりはなかったんだと思う。

いまから10年前、あの年の冬、私は祖母の部屋に住んでいた。
長年暮らしたアメリカから帰国した途端、体調を壊してどこにも行けなくなり、
2世帯暮らしの1階の祖母の部屋で寝込んでいた。
熱に唸るわたしの額におばあちゃんは毎晩冷たいタオルを充ててくれた。

一緒のこたつに入って、マフラーを編みながら
「おばあちゃん、私ね…」と話しかけたら、おばあちゃんは
「恋とはするものじゃなくて落ちるものだから」と言った。

そんな冬が明けて、春が落ちつく頃、祖母は入院した。
そして私はアメリカに残した未練と向き合うことになった。

チケットをとって空港に行く途中、どうしても会いたくて病院に行った。
「おばあちゃん、私やっぱり行くことにした。怖いけどね、行かないとダメみたい」
こたつの夜を経た想いを聞いてほしかった。
おばあちゃんは、そうね、と頷いて、
「喜びも悲しみも受け止められる人が、優しくなれるのよ」と言った。

今でも折に触れてその言葉と、病室のオレンジがかったクリーム色のカーテンを思い出す。

「あき子ちゃん。ミネソタの空気は貴女を温かく迎えてくれましたか?
がっかりしたのではないかとおばあちゃんはそれだけが気がかりでした。
でも貴女のパワー」

途中まで書かれた手紙には、孫が傷ついていないかを心配し、
それでも信じてくれる言葉が綴られようとしていた。

紙は入院食の献立がプリントされた裏紙。
鉛筆で書かれた文字の列は、力が入らないのかもどかしそうで、
下の方にボールペンで私の名前を「暁子」と漢字で書き直している。

その文字に触れると、祖母が自分の名前を
愛おしそうに呼んでくれているような気がして
もう何年もしまい込んでいた
記憶や気持ちが堰を切って溢れ出した。

文字はきっと、人が時を超えて愛を伝えるためにできた。

ありがとう、おばあちゃん。

視界が滲んで片付けにならないのだけど。
新しい旅立ちの前に、受け取れてよかったよ。

 

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